Happiness―最後に送る夢(シーンⅡ)

シーンⅡ

 銀髪の美少女は、階段を駆け上がる。速く駆け、早く目的を果たす、そのために。主人のためなら一瞬さえ、無駄にする事は許されない。

それは従者の矜持とすら、言えるものだった。

 彼女は黒と白の給仕服、俗にメイド服と呼ばれるもの、で身を固めている。

時代に取り残された、古き良き日本の塊のような幻想郷。そこでこのような洋風の格好は、ここの住民と比べると大層珍しいものだろう。

 人目を引くのはその衣装だけではない。陽光を反射するきらびやかなシルバーブロンド。夏故に短めにされたメイド服の袖から伸びるのは、白磁のように真っ白な腕。 エプロンを持ちあげる、確かな双丘。そのどれをとっても人を引き付けるには十分と言えるものだった。ここに十人の男を呼べば、その十人全員が「美しい」と言葉にするぐらいには、だ。

 彼女は十六夜咲夜。幻想郷の一勢力、紅魔館の主レミリア・スカーレットの従者である。

そして今、彼女は主人より大切な使命を託されていた。

 

右手の大きな籠と共に。

 

足音が聞こえてくる。間隔は短い。

どうやらその人物は走ってきているようだ。彼は階段の方へと視線をやる。

 華扇達も近づいてきた足音に気づいたようだ。彼の視線をゆっくりと追っていく。足音の主はすぐに視界に現れた。

 一番初めに口を開いたのは……霊夢だった。

「むっ、誰かと思えば……紅魔館トコのメイドじゃないの。そんなに急いで、どうしたのよ?」

 最後に、どこか期待したような顔をしながら、小声で「もしかして急に信仰心に目覚めて、お賽銭でも入れたくなったのかしら」と、付け加えたことを、彼は聞き逃さなかった。さっきまで真面目な顔で幻想郷について語っていた彼女は、どこか遠くへ行ってしまったかのようである。      

彼の中での霊夢の株が最安値を記録した瞬間であった。

「霊夢っ! それと魔理沙に……あら、仙人の方まで。丁度良かったですわ、訊ねたい事が少しあったので。話を聴ける人が多いにこしたことはないです」

 息せき切ってやってきたメイドは急いで目的を告げた。霊夢は期待を打ち砕かれたからか、残念そうに頭を垂れた。その顔は酷く、哀愁を誘うものとなっていた。

 彼の中で霊夢への同情の念が生まれた瞬間であった。

「いっつもクールなイメージのあるアンタが、そんなに急いでるって事はぁ、よっぽど重要な事みたいだな?」

 メイドの右手に掴まれた大きな籠に視線をやりながら、魔理沙は疑問を口にした。

このメイドはどんな事でもそつなくこなすのだ、その彼女が焦る事など数少ない事であるはずだ。ここに来たばかりの彼が知る由もない事であったが。 

「今、私は主の命で一つ探し物をしているのです。ここに来たのはその事で皆さんが、何か知ってらっしゃる事はないかと思いまして……」   

「ちょっと、あなた。その探し物ってもしかして―――あなたのとこのペット?」

「ご名答です。霊夢の理解力の高さには大層、驚かされました」 

と別段を大きな反応も見せずに告げる。

「えへへっ、褒めてもお茶ぐらいしか出せないわよ……ってそんな事を言ってる場合じゃないわね」

「はい、そんな下らない事を宣っている場合ではありません。実は……」

 霊夢は、メイドの言葉にどこか釈然としない顔をしていたが、話が進まないと思ったからか、邪魔するような事はしなかった。

「実はですね、お嬢様が「チュパをずっと籠に入れておくのも不健康だから、たまには散歩でもさせるべきね」、とおっしゃりまして。それで庭で散歩をさせていたのです。ですが、お嬢様が少し目を離したスキに、何処かへと駆けて行ってしまったようでして。そこで私が逃げたチュパをお嬢様の下へとお連れするために、方々を探しまわっている次第というわけなのです」 

「……面倒ねぇ。チュパって確か、ツパイの事でしょ?」

 霊夢がロクでもない事を聴いてしまった顔で、

「アイツかぁ、小さくて、すばしっこくてさぁ。捕まえるドコロか、探すのすら一苦労じゃぁねぇのか?」

 魔理沙は苦々しい顔をしながら、二人は過去にあった出来事を思い出した。

 そんな中、おずおずと手を上げた人物が居た。華扇だった。

「あのぅ、咲夜さん。話の腰を折るようでなんですが……ツパイとはどんな生き物なのでしょうか? 私ですら聞いた事が無い生き物なので、いまいち想像がつかないのです」

「あぁ、そういえばあなたってその時、この場に居なかったわね。良いわよ、私が説明してあげるわ」

 彼女の質問に対して答えたのは、質問をされた本人ではなく霊夢だった。得意気な顔で語りだす。

咲夜を差し置いてしゃべりだした霊夢をずうずうしい奴だ、と彼は思った。

しかし、口を開いたかと思えば、何もしゃべらずに口を閉じた。どうやら何から話したらいいか、分からなかったらしい。結局、咲夜が説明する事になった。

後先考えなく、真っ直ぐ突っ走る猪みたいな奴だ、と彼は思った。

幻想郷の赤い悪魔の住む紅魔館のメイド、十六夜咲夜はゆっくりと説明を始める。

ツパイとは外国に住む小動物である。しかし彼女が言うには逃げ出したツパイは「それ」とは全く違うモノらしかった。

彼女達が飼っている生き物の本当の名は「チュパカブラ」。その正体は外の世界でも噂話がある程度の希少な吸血生物である。

姿は可愛らしいツパイとは似ても似つかない不気味な姿。長い爪がついた手足は細く、背中には頭から尻にかけて、細長い突起が並んでいる。茶色い体色の中、頭部には赤く爛々と光る二つの瞳がある。

少し前に彼女はこの生き物を独自の方法で仕入れた。しかし、今回のように逃げ出してしまったらしい。その時は最終的にさまざまな人の協力を得て、何とか捕獲に成功したのだった。

彼女は一連の説明を終えると、ふう、と一息をついた。長い説明だったので疲れてしまったのかもしれない。

それにしても、外の世界にもそんな不思議な生命体が居たのかと、彼は純粋に関心をした。血を吸う生き物という事だけなら大して驚くべき事ではないかもしれないが、話に聴いたような奇怪な姿をした生き物など、見たことも聴いたことも今まで無かったからだ。        

 さて、そんな異質な生き物についての説明を終えた咲夜を、彼は改めて眺めてみる。

突然現れた、異国の服装に身を包んだ幻想郷の住人、十六夜咲夜。彼女の輝くシルバーブロンド、服の袖から伸びる白雪のような腕や足は人の目を惹きつけてやまない。   

猫の彼ですら、そう感じるのだから余程の美人ということなのだろう。

彼女の淡々と物事を告げる喋り方からは、仕事をそつなくこなす優秀さを感じ取る事が出来る。

それ故に、そこだけ見ると常人を遠ざける雰囲気を、初対面の相手に感じさせてしまう。

だが実際は淡々とした喋りの中に、しっかりとした物腰の柔らかさもあり、冷たいという印象を抱かせる事は無かった。

容姿、雰囲気等々、全てを総評して彼女は「瀟洒」という言葉がとてもよく似合うメイドであった。

華扇に少しだけ聴いた話によると彼女は、レミリア・スカーレットという吸血鬼が治める紅魔館のメイド長なのだとか。彼女のような人を惹きつけるカリスマ性を持った麗人を従える吸血鬼とは一体どんな人物なのか。絶対的なカリスマを持っていなければ、主は務まる事はないだろう。

彼の中でレミリア・スカーレットという人物への興味が大きく膨らんでいった。

 

チュパカブラを探しに来た彼女であったが、目ぼしい情報が無いと知ると、一言礼を告げて去っていった。

その時に、華扇の腕で抱かれていた彼の頭を撫でて行ったのは、彼女の少女らしさの表れだったのかもしれない。

……撫でられたのが気持ち良かった事は彼の中での秘密の一つになった。

 急いで去っていく咲夜の後ろ姿を、静かに見送った。沈黙が支配する空間を切り裂いたのは霊夢だ。

「さぁて。またあいつが逃げ出したって事は、里の方でも被害が出るかもしれないって事よね……」

「まぁ、そーなるだろうな。家畜の血を吸われたりしたらたまらんだろ」

 魔理沙がそれについて同意をした。彼女達の中で方針が決まった瞬間であった。

「―――よしっ。じゃぁ、一仕事するとしましょうかね」

 霊夢は身を翻すと階段のある方へと歩き始める。つかつかと歩み去っていく彼女の背を魔理沙が追う。

「何よ、別に手伝わなくても良いのよ? 別に人手が必要ってわけでもないし」

「つれないヤツだなぁ。まぁ、楽しそうだからついてくだけだよ。お前と一緒に居ると面白い事に出会えそうな気がするし」

 にしし、と笑いながら魔理沙はそう告げる。

「ふーん、まぁ、いいけど。邪魔しないなら何でもいいし」

「よっしゃぁ! 話の分かるヤツだぜ」

 どうでも良さげに魔理沙の同行を認める霊夢。特に気にも留めたような顔をしない霊夢と違って、魔理沙は顔をぱぁっ、と輝かせた。

「でも人が増えたら逆に逃げられそうな気もするのだけど……?」

「大丈夫だって、気にすんな!」

 少々不安要素を見出してしまった霊夢だったが、魔理沙に押し切られる形でその不安を頭から振り払う。

「うーん、まぁ、いっか。じゃあ華扇、私と魔理沙はこれから里に出かける事にしたから」

「えぇ、分かりましたよ、霊夢。存分に仕事をこなしてきてくださいね?」

 霊夢は華扇の念を押すような物言いに「分かってるわよっ」、と短く返す。その親子のような様を魔理沙は横で笑っている。

 霊夢は笑っている魔理沙を軽く小突くと、今度は一言も告げずに足早と歩き去っていった。

魔理沙の方は「またな」と、華扇に―――彼に向けても忘れずに―――告げる。そして悠長な足取りで霊夢の後を追おうとしたが、その背がもう既に離れているのを確認すると、慌てて駆け出して行った。途中、魔理沙が霊夢を呼び止めようと試みたが、霊夢はまるで聞こえないかのように無視し、立ち止まる事は無かった。

二人に対して、小さく手を振り続けていた華扇だったが、二人の背が見えなくなると手をゆっくりと下げる。

かくしてこの場には一人と一匹が取り残されたのであった。   

「さて、それでは私たちもお暇するとしましょうか。私の家に案内しようと思います」

 華扇は彼女の家への帰宅を提案する。誰も居なくなった境内にもう用事は無かったし、彼に今日からの寝床を紹介する必要もあったからだった。

 だが彼はその提案に対して何も答えず、ただただ沈黙だけで返す。深く考え事をしているように見えた。

華扇は一言も言葉を発しない彼に疑問を抱く。彼女が言葉を何かかけようとする前に彼は口を開いた。

「なぁ、華扇? 一つ訊きたいことがあるんだが……家に行く前にまだ時間の余裕はあるか?」

「えっ、時間ですか? 別に大層な用事があるわけでも無いですから、余裕はあると思うけれど……」

 華扇は彼の唐突な質問に面をくらったものの、しっかりと質問には答える。だが彼女は彼の意図を掴みかねていた。

 華扇の答えに、彼は嬉しそうに少しだけ顔を輝かせる。

 彼が華扇にこのような問いを発した事には、理由があった――――――たった一つのお願いをする前準備。

 彼は少しの間俯き気味に逡巡をした後、跳ね上げるように顔を上げ、そのお願いを口にした。

「ならだな、なら……俺を人間の里ってという所に連れてって欲しいんだっ!」

 彼はまだこの地に来て数時間程、この土地には全く詳しくは無い。

ならばこの地の地理を知ろうとするのは、常識的に考えても当たり前の範囲内にあったであろう。

さらに言えば、先ほど霊夢から聴いた話の中に何度も出てきた『人間の里』という物に興味があったという事も一つの要因だった。幻想郷で唯一、多くの人が集まる地。この人外が闊歩する幻想郷、そこで彼らがどのように集まり生きてきたのか、そしてどのように協力し生きているのか。これには彼も大きく興味をそそわれていたのだ。

以上の旨を彼は彼女へと伝えてみる。もちろん思いを秘めた熱い視線も忘れずに、だ。

 さて、彼の幻想郷に来て最初のわがままに対しての彼女の反応はというと。

「ふむふむ……なるほど。あなたの考えは確かに理解させて頂きました―――別に構いませんよ?」       

わりとあっさりと承諾してくれた。

「自分から知識を意欲的に学ぼうとするのは褒められるべき事であり、推奨されるべき事です。ならば私にそれを阻む道理もないという物。存分にこの幻想郷を感じてください」

 彼女は小さく「それに案内は早い方が良いですし」と最後に付け加えて、締めくくった。

彼は華扇の話に区切りがつくのを素直に待った。静かに待った。この静は何かを溜めこむための静だった。

次の瞬間、何かは形を成す。

「感謝するぜ、華扇っ!」

 如何なるものにも冒すことのできない純粋で屈託のない笑みとなってだ。

彼女もまたそれを見て、笑みを浮かべる。

「な、何がおかしいんだっ」

「ふふっ。いえ、何かが可笑しいというわけではないのですよ。ただ、あなたの笑顔を見る事が出来たので嬉しくなって……ここに来て初めて笑ったわよね?」

 彼は改めて、ここに来てからの自分を思い返してみる。言われてみれば確かに彼女の前で笑って見せたのは初めてだった。

それどころか笑った事自体、久しぶりの事でもあった。いつ頃からか彼は笑みというものを浮かべなくなっていたのである。

 そんな彼がこのような笑みを浮かべたのは、ここでの生活を楽しみにしての事だった。

彼は彼自身、知らず知らずの内にこの幻想郷、そして自分を抱え上げる一人の少女へと大きな期待を懸けていたのかもしれなかった。元いた場所とは違う不思議なこの地なら違う日々を送ることが出来るかもしれないと期待している。

いや、彼は確信する。ここには、彼が一生を懸けても辿り着く事が出来ない未来が待っているのだと。

「さて、行動方針も定まった事ですし、そろそろ出立するとしましょうか。いくら時間があるとはいえ、このままでは日が暮れてしまいます」

 彼が物思いに耽っていると、彼女は彼を抱えたまま歩き出した。

確かにこのままここで話し込んでいては、夜になってしまう。時間を気にして動くのは良い事だ。

 彼は華扇に自分の足で歩こうとする旨を伝える。しかし彼女はそれを許さなかった。彼女曰く、彼の傷は完全に完治したわけではない。そんな彼を一匹で歩かせる事は危ないというわけだ。

彼は彼女のそんな好意に甘えさせてもらう事にする。

 日はまだ空高くに昇っている。時間は少なくとも観光をする位にはありそうであった。

 道中暇な時間は華扇が、この幻想郷の話を詳しくしてくれる事になった。この幻想郷は興味の宝物庫だ、彼の期待は際限なく高まる。

また彼も外の世界の事を話す約束になった。どうやら華扇は外の世界に大きな興味があるようである。正に「お互い様」という言葉がこの一人と一匹にはよく似合っていた。退屈な道中に会話の華が咲き乱れる事はここに確約されたようなものである。

 彼女が階段へと足をかける。彼らは一段、また一段と下って、神社を後にした。