シーンⅤ
場が落ち着いてまず彼がしたことは、華扇の胸へと飛び込む、という事だった。
これは生死の狭間を乗り越えた安堵からの行動であったが、これを彼は軽率な行動だったとすぐに、後悔することになる。
華扇は飛び込んだ彼を見て、何とも筆舌尽くしがたい生ぬるい笑みを見せると、彼の頭を撫でまわし始めたのだ。執拗に何度も。
一言で言えば、まるで子供をあやすお母さん……だと彼は思った。
結局それは、彼が暴れて彼女の腕から抜け出すまで続いた。
彼が抜け出した時の彼女の顏は寂しげであったのは言わずとも分かる事であろう。
頬を真っ赤に染めながら、彼は一つ疑問に思っていた事があった。
「……どうやって、俺の居場所が分かったんだ?」
「それはですね、私の腕に秘密があるのです」
そう言って、右腕を突き出してくる華扇。その腕は包帯に包まれており、素肌はどこも晒されてはいない。
華扇曰く、この腕は実体を持っておらず、煙のようになっているらしい。だからその変幻自在さを利用して、店の外で彼を待たせている時にリード替わりに巻き付けて―――
「あぁっ! あの時に俺の足に巻き付いていた煙ってもしかして……?」
彼は突如として、全てに納得がいったという風に目を見開く。彼女はその叫びに対して、首を縦に振る事で答える。
「つまり、そもそも華扇には俺がどこを進んできたか分かったって事だったんだなっ! それならあんなグッドタイミングで助けてくれた事にも納得がいくっ」
疑問が全部解けたというように首を振る彼。彼女は笑みを浮かべながら、それを見つめた。
「…………ところで」
と急に彼は改まったように居住まいを直す。
彼には彼女に、改めて言わなければならない事があった。
突然の彼の態度の変化に、華扇はついていけていない。どうしたの?と、訊ねようとしたところで、被せるように彼が口を開いた。
「―――ありがとう。まぁ~た、助けてもらっちまったな」
これは彼の素直な気持ちだった。屈託のない笑みを浮かべながら、ダイレクトに伝える彼の本心だった。
彼女は突然の彼の言葉に、驚きを隠せずにいた。ここまで彼が直接的な気持ちをぶつけてくる事が初めてだったからである。
しかし、彼女は驚きの顔に、次第に笑みを浮かべていった。まるで、彼の屈託のない笑みに惹かれるように。
彼が、自分の気持ちを素直に伝えてきたという事は、それだけ彼が真剣だという事だ。ならば彼女はそれに対して、真摯に返さねばならない。
だから、彼女は笑う。それが彼の真剣な礼に対しての、彼女の答えだった。
静かに見つめ合い、微笑み合っていた彼ら。その体を、家々の屋根の隙間から差しこんだ夕陽が紅く染めていく。
気づけば時刻は、夕方だった。
華扇が、無言で彼に、手を差し伸べる。彼も何も言わずにその手を掴んだ。彼女はそのまま彼を抱え上げる。
そして、彼らはゆっくりと帰路に着いた。
もちろん、チュパカブラを連れていくのも、忘れなかった。