Happiness―最後に送る夢

 プロローグ

 

    山の向こう側に鉛色の空が見える。沸き立つような雲の山が流れていくのも分かる。雨が上がった後の、一風景だった。

 彼女はそこら辺に点々としている水たまりの存在に気を配りながら、目的地を目指している。

 湿気が濃い、この時期の雨上がりはとても蒸す。故に体に服がべったりと纏わりついて鬱陶しくなる。ついつい着替えが欲しくなってしまう程に。

    この気持ち悪い状態から抜け出せるなら、いっそお風呂も良いかもしれない、と彼女は考えた。

    だがそれができるのは用事を終わらせてから、という事を思い出し、落胆で軽く肩を落とす。もう少しだけ、この不快感をお供に加えて無ければいけないようだ。

 点在しているまるで磨き抜かれた鏡のような水たまりに、がっかりとした様子の彼女の姿が映し出される。      

    前面に、茨の意匠が施された民族衣装のような服が包み込むのは十代後半の少女の華奢な体だ。

    人を引き付けるピンクの髪は印象的だ。その頭にはお団子を二つ乗っけているように見える二枚の白い布―――いわゆるシニヨンキャップだ―――を被っている。

    だがその特徴的な容姿を持った彼女には、さらに人目を引くような特徴が腕にあった。右腕は純白の包帯で全て覆い隠され、左腕には、華奢な腕に不釣り合いな鎖付きの鉄製の腕輪が嵌められていたのである。

    包帯に包まれ、隠された腕は彼女に神秘性を感じさせた。そして右腕に嵌められた鎖の付いた腕輪からは、押さえ付けられた強大な力の片鱗を感じさせる。

    これらの要素全てを総じて、彼女は人に対して近寄りがたい雰囲気を醸し出していると言えた。

    雨が染み込み、泥状になった路面が続く。彼女はいつものような強度を保てない地面に足を取られないよう目的地へ急いだ。靴の裏はもう泥に塗れている。これも雨上がりが、不快だと思わせる要素の一つだった。

    高い、高い石段が目に映った。あれを昇ればお終いである。神社はもう、すぐそこだ。

    目的地である神社への階段を昇ろうとして、彼女はその足を止める。止まった足はすぐに動き出す。階段の脇に転がっていた「ソレ」に向かって。

「ソレ」は彼女が近づいても、動くこともせず止まっていた。

動かないのではない、動くことも出来なかったのだ。

 「ソレ」の側へと彼女はしゃがみこむ。そして、ぐったりとした「ソレ」をゆっくりと腕の中に抱え込んだ。「ソレ」は弱々しく顔を上げていく。

 

    雲が流れる。去っていく。

 

    太陽がゆっくりと顏をのぞかせていった。降り注いだきらめく陽光が彼女と「ソレ」を照らし出す。水たまりに反射した陽射しはきらきらと輝いて眩しかった。

 

    そこで初めて、彼女、茨木華扇と「ソレ」の視線がぶつかった。